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◆◆国際◆◆[更新:08/05/01]

08.05.01:コキン卜ウ氏来日 警備に力士隊

07.05.18:フランヌ大統領にイヌコジ氏就任

04.3.2:世界相撲&力士サミット華やかに開催!

 

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連盟の資料からも明らかで,学生相撲連盟にこのとき以来登録されているものである.ただし,東北大相撲同好会の歴史は短命だったらしく,昭和30年以降は恐らく自然消滅したのではないか,ということだ.その約40余年後,平成5年,東北大学に久しぶりに相撲のサークルが出来る.「相撲愛好会天佑部屋」だ.このサークルは,福岡出身の相撲好きの柔道経験者が,愛媛の甲子園の常連校として知られる高校の相撲部出身者を誘って,同年5月,2人により結成された(前者をA,後者をBとしよう.実はこのとき2人とも1年生).Bは実はあまり乗り気ではなかったが,Aがいわゆる今でいう高見盛タイプのちょっと痛い系のばかちんだったので,同情した上で付き合っていたものらしい.無論,こういう状態であれば,得てして,Aが次第に調子に乗って,Bがそれに切れて,喧嘩して,結局サークルは自然消滅,となるのが通常のところであるが,このときは天がAに味方した.同年7月に開いた始めての入部説明会において,一気に7人の会員を獲得するに至るのである.折りしも,ポスト千代の富士争いが激化する角界,曙に若・貴兄弟らが脚光を浴び,相撲人気が一気に高まっていた勢いを受けたのが幸いしているのであろう.いずれにせよ,東北大学相撲愛好会は,いきなり会員9名からスタートするのである.それにしても,なぜいきなり9名も会員が集められたのだろうか?実際,説明会には10名来て,内3人は説明だけ聞いて帰ってしまっているのだがそれはさておき,これは単に当時の時勢だけで説明できるものではない.これには,会の活動内容(予定)に秘密があった.というのは,東北大学相撲愛好会天佑部屋は,相撲研究会と相撲部を付属する総合相撲サークルとして大々的に学内に宣伝していたのであった.こうした試み自体は,相撲サークルにおいては時々見られることらしいが(某有名国立大もそうらしい),これがうまくはまり,相撲を取りたい者と相撲を見ているだけでいい者とが集まったというわけである.こうして東北大学相撲愛好会天佑部屋は,順調な船出を切ったのであった.相撲部の方はすぐに活動を開始できた.9名のうち,相撲を取りたいと希望したのはそのうち7名.ただし,ラグビー部やラグビーサークルとの掛け持ちや,B自体が空手系のサークルと掛け持ちしていて(ちなみにBの肩書きは主将),常に7名集まるというわけではなかったが,Bの的確な指導のもと,稽古をしていくのである.で,実はこの稽古初日に,スクーターに乗って稽古場の草むらに直でやってきてそのまま入会する男がいる.彼は2年生だったが(以下Cとする),このCこそが会拡張の大きな鍵を握る一人となっていくのである.Cは例えば高校相撲経験者という訳ではなかったが,相撲どころ青森の出身で,卒業して郷里に戻った後はなんととある社会人チームのメンバーとして名を連ねるほど相撲にはまり込んでいくことになる.稽古場は,先ほどちらと書いたが草むらで行われていた.東北大学というのは典型的な分散キャンパスを持っていて,教養課程に属する学生(1・2年生)は川内キャンパスといとうところに通うのである.東北大学相撲愛好会の主体は1・2年生.稽古場もその近くで,ということで,キャンパス内の東北大学川内記念講堂の近くにある芝生で稽古を行っていたのである.当然,雨が降ったら稽古は出来ない.しかも,普通に雪が積もる地域なので冬場は稽古は出来ない.そういうことで,12月以降は基本的にオフシーズンとなった.普通,1年目からこうだとそのまま自然消滅することもありそうなものだ.しかし,これは会が二重体制,すなわち研究会も付属するという体制が自然消滅からも救う.実は,研究会の活動は当初行わない方向で進めていた.しかし,いざ説明会を開催してみると,研究会のみでやっていきたいという者が数名いて,せっかくきてもらってなんもやらないというのはどうかということで,2週間に1回,講義後の教室に集まって何かだべろうということになり,実際だべっていた.また,雨が降って稽古がないときもこうして集まるようになっていたので,相撲研究の人と部の方で確執が,なんてこともないまま,適当に仲良く活動(というかただのおしゃべり)するようになっていった.ただ,ここで本当の事を書いておきたいので書いておくと,実際のところ,7月の説明会における来場者10名(内女性1名)というのは本当のことだが,実はそのうち5名がサクラだった.2人はAと同じ学部の相撲ファン,残りはAの体育の授業(ソフトボール)で知り合った友人連中であった.特に後者の方は,Aの打者としての構えが完全に上段の構えで(笑),それを内1人が「よぉ,大リーガー」と揶揄し,もう1人とAがバッテリーを組んだところから何となく付き合いが始まったのである.だから,相撲愛好会の集まりというよりは,その付き合いの延長みたいなところが大いにあったのだが,そのサクラ連中のほとんどが西日本の出身で,しかもフランクな付き合いの出来る奴らばかりだったことから,新たに入ってきた面々ともすぐに打ち解け,仲間を増やしていくことになるのである.こうして,創業の年・平成5年度は幕を下ろした.その年度末には会誌を作ろうと決め,それが「イカす!どすこい野郎」という,当ホームページの前身なのである.平成6年には,Cの活躍と,会員の友達が友達を呼ぶ流れと,Aのポスター攻勢が功を奏して,一気に会員を2倍の20余名とし,この中には後の宮城県初の新相撲選手権参加選手も含まれるのだが,これはまた,別の話.とりあえず,気が向いたらまた書きます.東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)東北大学相撲部の歴史(上)


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